ソウルから地下鉄で1時間ほど行った水原市に位置する「韓国民俗村」は、1974年韓国の民俗文化の資料を収集・保管し、野外博物館として、また現場学習の場として、さらには観光地として外国人観光客に韓国の伝統文化を紹介するためにつくられた文化野外施設です。
韓国民族村公式サイト
http://www.koreanfolk.co.kr/folk/japanese/index.htm
約30万坪の広大な自然景観の中には、朝鮮半島を中心とした民族の生活様式を総合的に見ることができるように、李氏朝鮮時代後期の伝統家屋約26軒が移転復元されています。
そのほかに、それぞれの地方のさまざまな家財道具なども展示されており、衣食住の生活様式などもそのまま再現された歴史的意味のある貴重なスポットです。
入り口
登り窯
北部の民家と畑
中部地方の裕福な民家
上の門を入った中庭
オンドルのある部屋
オンドルとは?
http://www.konest.com/data/korean_life_detail.html?no=450
官衙(クァンア)
朝鮮時代に地方行政の担当者たちが集まり、公務を行っていた官庁「官衙(クァンア)」。
裏には罪人を裁くために使われていたという建物もあり、懲罰を与えるための道具なども展示されています。
牢獄は実際に使われていた建物をそのまま移築したものです。

景福宮は1395年(太祖4年)創建された李氏朝鮮の正宮。
易姓革命で1392年、朝鮮を建国した李成桂(イ・ソンゲ)とその支持者たちが首都遷都を決定し、即位から3年後の1395年、高麗の首都である開京(ケギョン・現在北朝鮮にある開城(ケソン)の旧名)から首都を漢陽(ハニャン、現在のソウルの旧名)に移す過程で造られた宮殿で、現在の青瓦台(チョンワデ・大統領官邸)のような機能をしていた李朝の心臓部でした。
景福宮の「景福」は、「詩経」に出てくる言葉で、王とその子孫、すべての百姓が太平の御代の大きな幸せを得ることを願う、という意味だそうです。
近代では、大日本帝国に併合された後に朝鮮総督府の庁舎が置ました。
大韓民国が建国された後は、敷地の一部に大統領官邸(青瓦台)が置かれています。
現在は景福宮の中心部に1867年に興宣大院君によって再建された勤政門や勤政殿などが現存し、建物の復元事業が行われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E7%A6%8F%E5%AE%AE
王朝時代の衛兵交代式
音楽隊
玉座
王様は、玉座の後ろから入られます。
韓国の王様は、土を踏まなかったそうです。
-5℃の気温の中、池の氷は人が乗っても大丈夫な位に凍っています。
景福宮に隣接している博物館に展示されています。
様々な行事の記録が絵付き記録されています。
『イ・サン』のソンヨンのお仕事です。
図書館
『チャングムの誓い』に出てきました。
今、NHKで日曜夜に放送されている『イ・サン』の王様。
ヒロー、イ・サンの祖父ですが、それを演じている役者さんとうり二つです。
王様のお越し

空港のトイレです。
3つのタイプが表示されています。
トイレは空港以外の公衆トイレでも掃除が比較的割れていて綺麗でしたが、殆どのところでトイレットペーパーを便器に流さないようにしなければなりませんでした。
水道の生水は飲めません。
地下鉄のホームです。
地下鉄の線も駅も番号がふってあって、ハングルがわからない私達でも困らないようにしてあります。
ホームから落ちないように、利用した駅全てに扉が設置してありました。
清潔で綺麗です。
ハングルを勉強しなければと、つくづく思います。
地下鉄の通路には【マスク】が設置されていて、使い方も表示されています。
おにぎりを売っていたので、韓国のおにぎりがどんなものか食べてみたかったのですが、
機会に恵ませませんでした。
切符を買ったり、改札に手間取っていると、親切にしてくださった方がふたりありました。
どちらも中年の紳士で、とても嬉しく感謝。
東京に訪れている外国人には、親切にしなければならないと思いました。
韓国の伝統的な配膳は準備した料理をすべて配膳した空間展開型で、一人用の配膳が基本です。
主食になるご飯を主にしてある飯床をは初めとして、粥床、麺床、茶菓床、交子床などに分けられます。
① 飯床
最も日常的なご飯を主食として配膳したもの。
基本の献立はご飯、汁もの、キムチでそれに加えるおかずの数(お皿の数)によって3楪飯床5楪飯床、7楪飯床、9楪飯床、12楪飯床のご飯膳に分けられます。
韓国語で「楪」とは蓋付きの器、及び皿のことです。
9楪飯床
お粥を主食として配膳したもの。
しょっぱくなく、辛くないおかずを上げるもので、 大根と白菜の薄切り水キムチ・ 干し明太の生ふりかけ・塩辛のチゲなどが良い。
③ 麺床
麺・餅スープ・韓国餃子などを主食として配膳した膳で、昼食または簡単な食事として上げられます。
④ 酒案床
酒を接待するための配膳でおつまみとして、ジョン・茹で肉・煮物・鍋物・生野菜の和え物・キムチ・果物・餅・韓国菓子など。
⑤ 茶果床
茶や飲料を飲むための配膳で、各色の餅・揚げ蜜菓子・揚げ菓子・干菓子・甘露煮・甘露漬・花菜などを添えてだします。
フランス、アメリカ等の外国では、料理を同時に並べず、フランス料理のように順次に提供する方法がとられます。
日本,韓国,中国 3ヶ国の箸の違い
【日本】
ご飯とおかず, 味噌汁など自分の目の前に置き食べるため短い箸が主です。
また骨がある魚、皮がある海産物, うどんのような麺類を食べることが多いため先のとがっています。
【中国】
多い人数で一緒に食事をすることが多く食べ物との距離が遠いいことと、おかずに油が多くてつかみにくいことから長くて太い箸が主です。
【韓国】
地理的位置もあり日本と中国の中間的です。
長さは25cm程度で先は尖ったようで鋭くなく平らです。
両国との違いは素材で戦争で移動が多かったため壊れにくく持ち運びしやすい金属食器が主として使われていました。
昔は、銀と真鍮を主に、 現代は重たいステンレススチールや軽いアルミニウムなどが使われています。
「韓国のスプーンの歴史」
韓国の食事はおかずの量が多く、その中にスープも含まれます。
ただ、熱伝導の高い食器を使用しているため手に持ちスープを飲むことは不可能でありスプーンが開発されました。
昔使われていた真鍮のスプーンはとても堅い性質で製造の際、平らにはなるが深い円形に作ることが難しく平たいスプーンとなり現在でも比較的平らなスプーンが使われています。
1960年代以後ステンレス箸とスプーンが開発され現在多く使われています。
古い友人の誘いで20年ぶりに韓国・ソウルへ。
友人招待のレストラン「石坡廊(ソッパラン)」
『チャングムの誓い』で注目を浴びた韓国宮廷料理。
店は李朝時代の貴族の別荘を移築したもので文化財にもなっています。
器にも凝っています。
唐辛子を使っていない優しい味です。
「医食同源」の料理で、食べることを大切にしている韓国の人々の心を感じます。
お店の人に了解を受け、撮影しました。
テーブルセッティング
美味しかった焼酎。
アルコール度数は高めですが、私達が慣れている韓国焼酎の甘みが無く、すっきりした味わいです。
おかゆ
韓国のおかゆは、お米の状態ですりこぎで砕いてあることが多く、食感がまるで違います。
食事の前に少量のおかゆが出るのが普通のようです。
チャプチェ
甘みがほとんど無く、優しい味で美味しかった。
真ん中のクレープのような薄い皮に外の材料を包み、酢みそのようなタレで頂きます。
それぞれには味付けがしてあるので、口の中で味と食感のハーモニーが感じられます。
白身の魚
あわびの焼き物
ユッケ
お肉は球状に美しく盛りつけてあったのですが、テーブルに置くなり混ぜられてしまいました。
韓国料理は混ぜる文化です。
白いのは梨。
火鍋
韓国料理のマナーは、日本料理と西洋料理のマナーに通ずるものがあります。
日本人が特に注意した法が良いのは、「食器を手で持たない」ということ。
食器を手で持ち上げる習慣のあるのは、世界で日本だけではないかと思うのですが。
《韓国飲食のマナー》
銘々膳でない場合は、上下座席は階級を持って座り、目上の人が箸を上げてから下の人が食べ始める。
食事中には目上の人の食べる速さに合わせ、食事を終わらせる時も目上の人より先に箸とスプーンを下ろさない。
器を持ち上げて食べない。
スプーンと箸を共に持たず。汁物はスプーンで食べる。
自分が使った箸やスプーンで、ご飯やおかずをいじくらずきれいに食べる。
食事中に骨などは膳の上に出して汚くせず、そばにいる人に見えないように静かに食べる。
大勢で一緒に食べる料理は銘々皿に分けて食べ、飲んだり食べたりする音、箸とスプーンまたは器が当てる音がしないように注意する。
遠くにある食べ物はそばにいる人に取ってくれるように頼み、無理に手を伸ばさない。
食事後はスプーンやお箸を元の場所に置き、使ったナプキンはきちんとたたみテーブルの上に置く。
食事中にくしゃみや咳が出る場合は、顔をそらし手やハンカチで口元を覆って失礼にならないようにする
Escalade
ジュネーヴに住んでいる友人が久しぶりに来日しました。
彼女のおみやげは、Marmite のチョコレートポット。
冬のジュネーヴのメインイベントといえば400年の歴史を誇る『エスカラード Escalade 』。
1602年、ジュネーヴを再び支配下に収めようと夜襲をかけたサヴォイア公(サヴォワ)との戦いに市民が一丸となって勝利したことを祝う伝統の祭りです。
エスカラードとはフランス語でよじ上って侵入してくることを意味しています。
はしご段をつかって城砦を上って来た敵兵に、熱いスープ鍋をひっくり返して撃退したという故事にならっての命名です。
当時、城壁をよじ登ってきたサヴォワ軍の敵兵にある市民が鍋に入った熱いスープをかけて撃退したという逸話から、エスカラードでは、チョコレートで作られた鍋に野菜の形をしたマジパンが入った“マルミットLa marmite”というチョコレートも祭りのがシンボルとされています。
期間中には各地で特別展示などが開催されるほか、スープやホットワインなどの屋台も立ち並び、多くの人で賑わいます。
最終日の日曜には1000人以上の市民が兵隊やギルド、農民など当時の衣装を身にまとい、たいまつの灯りとともに街をパレードしていきます。
そして、大聖堂に集結して宣言をしたらファイアーストームで祭りはクライマックスを迎えます。
燃えさかる炎の前でエスカラードの歌を市民がひとつになって大合唱する様子は感動的です。
http://ghislaine216.centerblog.net/201-escalade
1697年、チューリヒ市長ハインリヒ・エッシャーによってブリュッセルからスイスに持ち込まれたチョコレートは、ツンフト(チューリヒのギルド組織)が集まる様々な祭事の場でスイス国内にも密かに広まっていきました。
1772年、チョコレートは性欲を盛んにする媚薬であるとされ、チューリヒ州議会は“高潔なスイス市民には合わない”という理由からチョコレートを飲むことを禁止しました。
1750年、イタリアの2つのチョコレート会社が、ベルンの製紙工場跡でスイス初のチョコレート製造工場を開きましたが、経営難ですぐに閉鎖されて、18世紀末には、スイス西部のヴヴェイ、モルジュ、ローザンヌ、さらにティチーノ州(ブレニオ谷)に相次いでチョコレート工場が建設され、1792年にはスイス初のチョコレート店がベルンにオープンしました。
スイスには、チョコレート工場で大量生産されるチョコレートだけではなく、スイス各地にある小さなチョコレート店やケーキ屋が独自のレシピで作ったチョコレートを販売しています。
ジュネーブ市内にもあの有名な、雅子さまが皇太子さまに贈られたスイスチョコレート「ステットラー(Stettler)」等がありますが、私が好きだったのはここ
Tristan
住所:Grand Rue 1172 Bougy-Villars, Vaud, Suisse
抹茶味のチョコレートやシャンパン味など種類が豊富で一つ一つが大きく、味も濃いので
1個食べるとかなりの満足感です。
甘いものをあまり食べない私でも幸せ・・・。
レマン湖の畔のブドウ畑の中を走った小さな村にある小さなチョコレート屋です。
スイス人も他のヨーロッパ人と同じようにチョコレートが大好きです。
スイスinfo
http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=3768576
吉田様からの情報です。
イタリア文化会館にウフィツィの名画が来ています。
http://enit.jp/blog/2011/11/post_90.html
会期8日までが19日までに延長になりました。
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